(聞き手)
そういったご経験をされて、今後の課題というのはどのようなことだと思いますか。
(今野様)
やはり、
地域の防犯対策もしっかりとしていかなければならないということです。避難所を解散するまでの約1カ月間、八幡5区の
区長さんたちは毎日9時に集まって、いろいろな情報をお互いに提供し合っていました。
(聞き手)
震災後の
地域のコミュニティ活動について教えて頂けますか。
(今野様)
震災後、他の地区では、いろいろな夏祭りなども中止にせざるをえなかったようですが、私の地区では敬老会も夏祭りもしました。
今までしていた事は、なるべく実行していこうということで総会も行いました。
(聞き手)
震災前と比べて、皆さんのつながりなどはどうですか。
(今野様)
以前よりは
絆が深まったという感じを受けます。
やはり人は一人で生きていくのは大変なので、人との支えや繋がりといった
協力があってこそ、行動出来るのだということを感じました。
(聞き手)
お祭りなどは、八幡5区全体で行うのですか。
(今野様)
区ごとに行います。もちろん、震災の年は、中止を決めた区もありましたが、八幡上一区では実施しました。
(聞き手)
東日本大震災前には、どのような備えや対策をしていましたか。
(今野様)
自分では、リュックザックに物を入れておいたり、乾パンなどの食糧を備えたりといった、ある程度のことはしていました。
他にも、避難訓練をするなど、やはり最低限のことはしていました。
多賀城市では5年に1度(※注 震災後は毎年の開催となっています)大規模の
防災訓練もありますし、そういった時は、積極的に参加していました。
(聞き手)
平成25年11月4日の
防災訓練も参加しましたか。
(今野様)
はい。ただ、雨でしたので、少し計画通りには出来ない所もありましたが、逃げること、避難することを第一に頭に置いて、
地域の皆さんをまとめていました。
(聞き手)
その訓練には区民の方は何人くらい参加したのでしょうか。
(今野様)
170人ぐらいと聞きました。
(聞き手)
多賀城市の居住歴はどれくらいですか。また、
区長さんになられてからはどれくらいになりますか。
(今野様)
私は昭和44年から住んでいます。
区長になってからは16年です。私が
区長となった時には、それまでで一番若い
区長だと言われました。
(聞き手)
この
地域の年齢構成と、地元の人はどれくらいの割合なのか教えて頂けますか。
(今野様)
元から住んでいる方は少なくて、7対3だと思います。3割の方が元から住んでいる方です。若い人というよりは、新しく来た人が多いという感じです。多賀城市全体を見てもそのように把握しています。
(聞き手)
チリ津波や宮城県沖地震など他の災害や、水害などは経験されていますか。また、その時の経験で今回の地震に活かされた事はありますか。
(今野様)
宮城県沖地震は経験していますが、規模が全然違うのであまり活かされたものはなかったと思います。
(聞き手)
避難所生活を振り返っていかがでしたか。
(今野様)
多賀城は、いろいろな所に避難所があったので、1カ月ほど過ぎて少し落ち着いた頃には、皆さんは他の避難所に散らばっていました。
私は、自分の地区の人たちが避難していないか、どれぐらいの方が避難しているのか気になり、
安否確認のため一番大きな多賀城文化センターや山王地区
公民館、多賀城市体育館などへ出向きました。いろいろな避難所を歩いて回りましたが、皆さん喜んでくれました。中には涙をこぼして喜んでくれた方もいました。無事が確認され、感動し、うれしかったです。